日本に戻り、既述の上伊那郡箕輪町に移り住む。りんごやぶどうの果樹園、日本アルプスの山並みや、なだらか丘の傾斜。この土地の風景や空気感が、イタリアの田舎町にとても似ていたことで、直感的に移住を決意したという。ここに、念願だった自分の工房も作った。
“アトリエ・キノピオ”
しかしこの名前は、自転車乗りの間ではもっぱら、卓越したカスタマイズ塗装を行うペイント工房として知られている。師匠ズッロの自転車も、日本を含むアジアマーケット向けはMASOがディストリビューターを務め、イタリアから入荷したフレームをこの工房で美しいペイントを施してから顧客の元へ送り出している。
そしてMASOはいま、木製バイク“モックル”の本格的な生産にいよいよ動き出した。
随分長いまわり道をしたが、その間に出会った妻とは、二人の子供に恵まれた。工房では弟子がひとり、MASOの作業を支えている。モックルは単なる木製から、カーボンシートを挟み込んで乗り心地を改善するなど、進化もしている。
昨年はカリフォルニア州サクラメントで行われたNAHBS(北米ハンドメイドバイシクルショー)にも挑んだ。かつて、師匠ズッロと工房の再生を目指して二人で参加した、この分野で最も重要なイベントに、今度は自分のブランドと、自転車をもって出展したのだ。 ひとつの賞も受賞することは無かったが、そんなことはどうでもいい。ショーの最終日、MASOの木製自転車をいたく気に入り、その場で即決して買って帰った来場者の女性がモックルのお客さん第一号になったことが、彼にとって何よりの勲章だ。
木製自転車モックルは、イタリア、そして日本で自転車作りに身をささげて生きてきたMASOのこれまでの例に違わず、ただ喜びだけを彼に届けてくれるわけじゃない。製作にはとにかく手間がかかる。そして一番の問題は、ハンドメイドの少量生産ゆえ、コストを縮小するのが難しいことだ。 そのため、お洒落な空間にオブジェとして置いておくのが似合いそうなこの美しい木の自転車は価格もそれなりで、日常に使う乗り物として手に入れるには、そう簡単には手が出ない。
また、同じ自転車でも、これまでMASOが携わってきたイタリア製ロードバイクとは毛色が違うモックルを、スポーツ自転車専門店はその扱いに手をあぐねるだろうから、彼がこれまで世話になった取引先も今回はあまりあてにならない。
悩みは他にもある。最近引退を考えている師匠のズッロが、MASOがイタリアに戻り、工房の後を継ぐことを望んでいる、という話も伝え聞いている。
彼のまわり道はこれからもまだ続くかもしれない。でも、それでもいい。
自転車は、ペダルを踏むことを止めない限りは、ずっと前に進んでくれる。
安田マサテルの人生そのものが、モックルという自転車に乗った旅なのだ。