Officina(オッフィチーナ名称)
BIXXIS(ビクシズ)
住所:
Via Tommaso Edison, セレーニョ,モンツァ・エ・ブリアンツァ県(ロンバルディア州)

Telaista(フレームビルダー)
Doriano De Rosa(ドリアーノ・デローザ)

展示車両・フレーム

PRIMA
PATHOS
EPOPEA

BIXXISのドリアーノ・デローザにとって、父の存在の大きさは計り知れない。彼の父ウーゴ・デローザは1950年代に自転車のメカニックとして立身し、続いて自らフレームを製作するビルダーとなる。 以降のサイクルロードレースの世界での同氏の輝かしい歴史は今日まで賛美的に語られ、この分野で絶対的存在の “レジェンド”として世界中でリスペクトされている人物であることは、サイクリストなら誰でも知っている。
 ドリアーノが物心ついたころには既にウーゴはフレームビルダーとして多数のプロ選手を顧客に抱え、イタリア内外にその名を馳せていた。60年代後半から70年代にかけて、多くのプロチームにバイクフレームを供給し、工房は全盛期と言える時代に入る。 エディ・メルクス、フランチェスコ・モゼール、ジャンニ・モッタ、ジョバンニ・バッタリン、ロイ・スクイテンと言った、当時工房に通っていた稀代の選手たち。 学校帰りに父に会うため、いつも工房に遊びに来ていたドリアーノ少年は、雲の上の存在の彼らにフレームを供給し、その活躍を影で支えているのは他でもない、わが父であることを理解するまで、時間を要したという。

そんな環境で育ったドリアーノが、父のように自転車職人を志し、彼の仕事を手伝い始めたことはごく自然な成り行きだったはずだ。

ドリアーノ・デローザは今年59歳となり、14歳から始めたフレームビルダーとしてのキャリアの45年目を迎える。 
その間、自転車フレーム製作は大きく変化した。もともとはチューブを銀や真鍮のろうを溶かしてつないでいたものがTIG溶接に、素材はスチール(クロモリ)からチタン、アルミ、ステンレスなどの合金、そして一体成型のカーボンへと変貌して今日に至った。
ドリアーノ・デローザが得意とするフレーム製作はTIG溶接によるもの。この製法は合理的なフレーム作りへの要求から生まれた賜物ではあるが、ドリアーノは80年代後半からTIG溶接のスペシャリストとして父の工房を支える。またTIG溶接の技術により、後に彼のキャリアの重要なターニングポイントと言える、新素材チタンとの出会いと、この素材による大きな成功を手に入れることになる。
 90年代初めに、ソビエト連邦崩壊により軍需産業から払い下げられ民間に普及し始めたチタンは、軽く、しなやかで劣化しない、自転車にとって理想的な素材だった。ただ、この新素材をうまく加工、溶接し自転車を作るそのやりかたを、まだ誰もよくわかっていなかった。
チタン合金の存在を知ったドリアーノ・デローザは、この素材を極めるために、研究と開発に情熱の全てを注ぐ日々を過ごす。その成果は1995年に訪れる。当時、家族の工房はトップカテゴリーのプロチームにバイクを供給するサプライヤーだったが、その年にはじめてチタンバイクを導入したチームは大活躍。ジロ・デ・イタリア総合優勝を含む幾多のレースで勝利を挙げた。ドリアーノは父ウーゴと二人で、およそ100台のチタンフレームを製作し、チームに供給したという。それ以降も彼はチタンバイクを作り続け、伝説的な自転車職人の父の技術と匠気を受け継ぐ後継者的な存在として知られてきた。

ドリアーノには娘が二人いる。そのうちの下の娘マルティーナは、幼いころから父にべったりで、普段からドリアーノのいる工房を遊び場がわりにしていた。この工房は、父も子供の頃、学校帰りにバスケットボールを持ってウーゴに会いに通っていたことをよく知っている。マルティーナも、ドリアーノと同じように、父の自転車作りの仕事を好奇心旺盛に見て学んだ。

現在、この工房にドリアーノ・デローザの姿はない。
彼は長年慣れ親しんだ家族の工房を去り、2015年、大学でデザインを学んだものの将来の進路を決めあぐねていた娘のマルティーナと二人で自分たちの工房を立ち上げたのだ。
ブランドの名前はBIXXIS。“21世紀のイタリアンバイシクル”を意味するイタリア語の頭文字を取ってつけている。
ドリアーノはここでも主にTIG溶接のチタンフレームを作っている。最近はろう付けのラグドフレームも始めた。父から自転車作りのイロハを教え込まれた十代の頃にやっていた伝統的な作り方の自転車フレームだ。
これまでと同じことをやり続ける、それはすなわち、最も尊敬する師匠であり、自身がその息子であることを誇りとする父ウーゴから学び受け継いだ、自転車作りの仕事や職人の匠気といった、自身の根幹たる遺産を守っていくというドリアーノの意思でもある。
また彼は、これまで培ってきた経験をいずれはマルティーナに継承したいと思っている。そこで最近、彼女に溶接のやり方を手ほどきし始めた。しかし、手を真っ黒に汚してやる自転車職人の仕事を娘に強いることに、父親として忍びなさも感じている。

二人は裕福になることはそれほど求めていない。食べていくだけの稼ぎを得ることができればそれで良いとも言う。 
会社の登記上は、ドリアーノはBIXXISに雇われた従業員であり、経営者はマルティーナの方だ。
インターネットが普及した現代では、世界中から注文を受けることができる。日本からのオーダーでは、テレビ電話で顧客と対話をするなど、遠く離れた国のユーザーたちと心のつながりを持てることに喜びを感じている。

たった二人で働くには広すぎるくらいのBIXXISの工房。立ち上げた当初から、いずれは職人を雇って事業を大きくして行きたい考えはあるが、今はまだそこまでの余裕はない。

ドリアーノ・デローザとマルティーナ・デローザ、彼らの中に刻まれた自転車作りの魂を21世紀の現代そして未来へとつなぐための、父と娘二人三脚で進む冒険。 BIXXISの物語はこれからも続いて行く。